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2007年5月

ヨガの語源

みなさんこんにちわ!今日は「ヨガってなあに?」シリーズ第2弾「ヨガの語源について」です。

YOGAという言葉

インドの古い言葉サンスクリット語の「yuj」(ユジ、ユジュ)からきています。その意味は、「結ぶ、調和する、統一する、馬に馬具をつける」など。

「個としての小さな自分と、宇宙的な大きな自分を結びつける」「心と体と魂を結ぶ」など、調和がとれた状態をめざしています。

馬に馬具をつける

「カタ・ウパニシャド」というYOGAの古い文献に、こんな比喩が載っているそうです。

アートマン(真我)が車主、肉体が馬車、理性が御者、思考器官が手綱、感覚器官が馬、というふうに例えられている。

「御者(理性あるもう一人の自分)が、車主であるアートマン(真我)の進む方向へしっかりと手綱をさばき、馬が正道から踏み外すことなく導く」ということを表し、これをYOGAととらえています。

どこへ走るか分からない暴れ馬のような自分を、理性のあるもう一人の自分が上手にコントロールして、深いところにいる本来の自己の望む方向に進んでゆく、ということだと思います。

小さな自分の向こうにあるもの

生きてれば色々あって、馬にホンロウされてしまうこともしばしば。食欲のコントロールは難しく、つい食べ過ぎて2~3日前から口内炎ができてる。所有欲や支配欲も結構強いと思う。

それに、真我や本来の自己、宇宙的な大きな自分なんて、抽象的で、はっきり手で掴めるようなものではないし。ともすると小さな自分が全てになっっちゃう。

ただ、漠然とですが、小さな自分の中、奥深くに静かに存在している何かがあって、自分を導いてくれているみたいだなあ、と感じることがある。

過去に紆余曲折あったけれど、今自分がここにいるのは、その導きによるのかなと思う。

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最近読んだ本

4月30日の記事「ヨーガ・セラピー」にfumifumiさん、mocchiさんからご投稿ありがとうございました。

身内がなくなったり病気したりすると、やっぱり死についてあれこれ考えるようになります。

(またちょっと重い話になってしまいますが・・・)

最近読んだ本が「他生の縁」というたまたまKIOSKで見つけた文庫本。

現役のお坊さんでもある作家・玄侑宗久さんの対談集。(玄侑さんの存在を私はこの本ではじめて知りました。芥川賞もとられたそうですが、全然シラナカッタ・・・。)

京極夏彦さん、五木寛之さん、山折哲夫さん、鈴木秀子さん、梅原猛さんなどと、生と死、その境目の人の意識の状態などついて対談されていて、結構興味深いものがありました。

たとえば、京極夏彦さんとのお話のなかにこんなくだりが。

玄侑 儒教的なガンバリズムで、しっかりした揺らぎのない「私」を目指して突き進むような生き方が、必然的に落ち込む深い穴なんじゃないかと思いますね。

京極 そんなもの幻想に過ぎないのに。・・・・・・・・一番じゃなきゃいやだと言ってみたところで、反対から見れば一番ビリなのに(笑)。

鈴木秀子さんは、シスターとして、間もなく亡くなる方のところへ祈るために呼ばれて行くことがよくあるそうですが、

「亡くなる方は必ず、仲違いしている人と仲直りがしたい、家族の大事さをしみじみ思い、自分がそう思っていることを家族に伝えてほしい、と言われるんです。」

これを「仲良し時間」と名づけたそうです。

「その人が精一杯愛を送っている、何か一体感を感じている、そういうことをし遂げなければ人は死ねないっていうのを、私よく感じるんです。」

それまでのアイデンティティは、死ぬ間際にほどけて、もっと広くてトータルな自分に戻って死んでゆくのではないか、それが「仲良し時間」ではないか、玄侑さんは言われています。

私の兄もそんな風に最後の時間をすごしたのだろうか?

死と言うものをもっとリアルに想像しながら生きたら、心のあり方も変るのでしょうが、日々のことに追われてしまう今日この頃。

他にも、考えさせられるようなお話が沢山でした。もし、ご興味ある方はご一読下さい。

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